今回は、より大きな記述レベルからのアプローチです。
「より大きな記述レベル」というのは、ここでは、たとえば「調理」は、その人の生活の中において、どのような意味、役割、位置づけがされているか、という視点、つまりその行為のより上位にあるものの記述からのアプローチと考えます。
理解しやすいように、単純化してしまいますが、たとえば主婦のかたで、ご家族の食事の支度をするということが、主婦としての自分の存在感、存在価値を見出していたという生活歴、生活感をお持ちだったとします。(ものすごく単純化してますが。)
この場合、「(もう)調理ができない」=「もう主婦としての役割を果たせない」=「存在価値がない」という論理形成がされる場合があるかもしれません。(ICIDHの考え方の危険と一本道という点で同様です)
この論理が正しいのか誤っているのかは別として、アプローチとしてはより大きな記述レベルとして、
- 「主婦としての役割を果たし、自己実現を実感するために、調理できるようになる」
- 「主婦としての役割を果たし、自己実現を実感するために、調理以外の方法を見つける」
- 「主婦としての役割が果たせなくとも、自己実現を実感するために、調理ではなく、○○を行う」
- 「主婦としての役割(ロール)から別の役割(ロール)に転換する」
- などなど・・・・・・・・
(上記の表現をそのままニーズとして書くわけではありません)
もちろん上記の中やそれ以外で、どれが良いのかは、状況によりけりですし、それ以上に
「その場で最善の判断をしたとしても、必ず良い結果が得られるわけではない」
という事実(あるいは真理)が、(たぶん)ありますので、その意味で「ケアプランに正解はない」わけですが、
少なくとも 「最善」(と思われる、当事者が合意可能)なアプローチを選択し、試行、検証を繰り返していくということが、必要なのでしょう。
「○○できない」から始めると、「○○を介助する」という短絡的なアプローチになりやすいという報告書の指摘(というか心配)は、多分一理あります。
ただし、「○○する」、「○○できるようにする」という表現は、すでに「○○できない」という状態を前提に(言外に)含んでいます(今できているのなら「○○することを続ける」と表現すべきです)ので、「○○できない」と書くのとあまり変わりはないのでは、と思われます。
どちらかといえば、「○○」の記述レベルをずらすことの方が、短絡的なケアに陥らない予防効果があるのではないか、と考えています。
さて、このテーマでの次回は「転倒予防」という課題、長期目標は、ポジティブか?という問いから、ポジティブプランについて考えてみようと思ってます。

tttt
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