2008年10月1日水曜日

ICFとポジティブプラン その2

 さて、前回は「調理」という行為をいったん動作分割して、より細分化された記述レベルを採用するというアプローチについて考えてみました。
 今回は、より大きな記述レベルからのアプローチです。

 「より大きな記述レベル」というのは、ここでは、たとえば「調理」は、その人の生活の中において、どのような意味、役割、位置づけがされているか、という視点、つまりその行為のより上位にあるものの記述からのアプローチと考えます。

 理解しやすいように、単純化してしまいますが、たとえば主婦のかたで、ご家族の食事の支度をするということが、主婦としての自分の存在感、存在価値を見出していたという生活歴、生活感をお持ちだったとします。(ものすごく単純化してますが。)

 この場合、「(もう)調理ができない」=「もう主婦としての役割を果たせない」=「存在価値がない」という論理形成がされる場合があるかもしれません。(ICIDHの考え方の危険と一本道という点で同様です)

 この論理が正しいのか誤っているのかは別として、アプローチとしてはより大きな記述レベルとして、
  1. 「主婦としての役割を果たし、自己実現を実感するために、調理できるようになる」
  2. 「主婦としての役割を果たし、自己実現を実感するために、調理以外の方法を見つける」
  3. 「主婦としての役割が果たせなくとも、自己実現を実感するために、調理ではなく、○○を行う」
  4. 「主婦としての役割(ロール)から別の役割(ロール)に転換する」
  5. などなど・・・・・・・・
 さまざまなアプローチが想定できると思われます。
 (上記の表現をそのままニーズとして書くわけではありません)
 
 もちろん上記の中やそれ以外で、どれが良いのかは、状況によりけりですし、それ以上に
「その場で最善の判断をしたとしても、必ず良い結果が得られるわけではない」

 という事実(あるいは真理)が、(たぶん)ありますので、その意味で「ケアプランに正解はない」わけですが、
少なくとも 「最善」(と思われる、当事者が合意可能)なアプローチを選択し、試行、検証を繰り返していく
ということが、必要なのでしょう。

 「○○できない」から始めると、「○○を介助する」という短絡的なアプローチになりやすいという報告書の指摘(というか心配)は、多分一理あります。
 ただし、「○○する」、「○○できるようにする」という表現は、すでに「○○できない」という状態を前提に(言外に)含んでいます(今できているのなら「○○することを続ける」と表現すべきです)ので、「○○できない」と書くのとあまり変わりはないのでは、と思われます。

 どちらかといえば、「○○」の記述レベルをずらすことの方が、短絡的なケアに陥らない予防効果があるのではないか、と考えています。

 さて、このテーマでの次回は「転倒予防」という課題、長期目標は、ポジティブか?という問いから、ポジティブプランについて考えてみようと思ってます。

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